思生活

平成元年誕生。狩猟、ソロキャンプ、音楽、ガジェット、ゲーム、雑学、疑問、ネタ、酒、くだらないことを全力で感じるままに記事にしていきたい。

私が宴会で服を脱ぐようになった理由

どうもこんにちは、ケータイ、財布、タバコは忘れないのに、飲み会にはいつも羞恥心を持っていくのを忘れてしまうおじさんです。

先日終電近くの電車に乗っている時、通過駅のホームで上司と思われるおじさんが勇敢な表情で腕を組んで仁王立ちしながらフルチンになってて部下らしき若いのが泣きそうになりながら必死にズボンを履かせようとしているシーンを見かけて、なんとも夏の終わりを感じております。

いつの頃だったか、私は羞恥心を無くしてしまいました。酒を飲んで宅飲みやカラオケに行って盛り上がるとかなりの高確率で全裸になります。もちろんそこに女性はいませんし、公衆の面前ではないので安心してください。店員が来そうなタイミングにはそっとズボンを履きます。

なぜ、脱ぐと盛り上がるのかを考えると、まず一点は人はタブーのようなものが潜在的に好きということである。主婦が週刊誌でゴシップを見たり、人の悪い噂話をしたり、若者が下ネタを口走ったり、人の不幸を嘲笑ったりする。「やってはいけないこと」を堂々とする人を見た時、「何やってんだこんなとこで」というツッコミの元、自分には到底できない服を脱ぐという行為に対して、好きか嫌いかは別として笑うしかないのである。

ちなみに余談であるが、勝負事においてこの「自分には到底できないことをする」という決断はとても大事である。俗にいうブラフの類である。これは文章にすると私の文章力では非常にチープに感じてしまうが、実際勝負の世界において罰ゲームが重ければ重い時こそこのブラフが非常に役に立つ。麻雀でもレートが上がれば上がるほど私は強かった。否、レートが上がれば上がるほど周りが弱くなるのだ。そこで追い打ちをかけるようにリーチのみの役を堂々とリーチする。周りは私なんかよりも良い配牌でもビビって諦め始めるわけである。ノッてる時はどんどんリーチをかける。次はリーのみではないかもしれないもっと高い役があるかもという恐怖を増大させていく。そうなった時、現場は食われる。これは相手が弱い時にのみ通じるのだが・・・。

話を元に戻そう。私は中学、高校時代で周りに「脱ぎキャラ」がいなかった為、脱ぎ芸で天下を誇れていた。(私の双子の弟も脱げるが、積極的に脱ぐタイプではなかった)それが、大学に入って一変した。そう、ライバルの出現である。一学年に一人は脱ぎキャラが配備されたサークルであったので夏合宿では100人近いサークル構成員がいる宴会場で他の節操ない脱ぎキャラが脱ぎ始める。そうすると誘われるかのように各学年の脱ぎキャラも脱ぎだす。最後のご指名は私であった。結果、「フルモンティ」ばりの男たち数人のストリップを始めなければならなくなってしまった時は流石に気持ちもちんこも萎縮してしまった。なぜか。まず、女性も大量におり、明らかに嫌がっていた女性も見ていた。トドメは当時の彼女がその場にいたことである。案の定ダンスが始まってすぐぐらいのタイミングですっぽんぽんの私に向かって真正面からダッシュしながら助走をつけて私の顔面におもいっきりグーでパンチ。数メートル吹っ飛ぶ私。酔っているのでいきなりかなりの衝撃が伝わりはしたが痛みは全くない。すっ飛んで慌てて彼女を見ると一言。「お前私がみんなの前でま◯こ出したらどう思うんだよおおおお!!!」ぐうの音も出ない超正論に私は裸のまま静かに土下座をした。そのあとむちゃくちゃセックスしたのはどうでもいい話である。

脱線に脱線を重ねてもはや何が言いたいかわからなくなってきているが、このような苦い思い出があっても場所を見切っては服を脱いでいく理由は、人と距離を近づけるのが苦手な私が思う距離の詰め方、100%の無条件降伏の提示、自分は丸腰であり、武器はありませんというアピールの意味合いが強いのかも知れない。脱げば馬鹿だと思われる分話しやすくなるかも知れない。そんな想いが私の宴会芸には込められているのだ。